音は身体の中にある
最近読んでとても面白かった本。
茂木健一郎/江村哲二 音楽を「考える」 内容が濃くてとてもまとめられないので、まえがきの中から特に示唆に富んでいると感じた部分をメモっておく。 ーーーー引用開始ーーーーーー いま存在しないものを新たに生み出す「創造」ということ。そしてその能力を備えた私たちの「創造性」ということを考えていると、ちょっと不思議な気分になります。 私たちは必ずひとりで生まれてきます。母のお腹からおぎゃあと生まれたその瞬間からその人はその人の環境によって育っていきます。その人とまったく同じ環境を持った他人は存在しません。一方、音楽にかぎらず芸術活動の厳選は自己表現欲求です。そしてその表現欲求というものもその環境から生まれているものと考えると、誰ひとりとしてまったく同じ環境を持った他人は存在しないわけですから、誰しもがその人なりの独創性-創造性を備えた存在が私たちヒトではないかと思えます。 私は作曲という創造的な営みを行っているうちに、このような楽曲を書いている自分と言う存在が大変不思議に思えてきました。この楽想、このアイディアは一体どこから来るのだろう。その答えは簡単です。自分の脳内にある神経細胞からです。それ以外にありません。しかし、その網状の神経細胞からなぜそのようなことが起きるのか。なぜ音楽が頭の中で響き渡るのか、そもそも空気の振動としての音ではない、脳内にあるいわば仮想としての響きを聴いているということは一体どういうことなのか。それが不思議でなりませんでした。 (中略) 冒頭に、いま存在しないものを新たに生み出す「創造」ということ、と書きましたが、私たちの創造性はそんな神様みたいなことではなく、自分自身が現実の世界に在るものを見たり聴いたりしたことによる経験の積み重ねによって培われた資源が、脳内に長期記憶として蓄えられ、それが何らかの外部刺激によって想起され、そのときにその複数が組み合わさることで元のかたちが変貌して意識の中に創発されているらしいということも分かってきました。すると、作曲するということはそれを「聴く」ということにほかならないことになります。 ーーーーーー引用終わりーーーーー 作曲するということは、自分の中にある音を聴くことだとすれば、演奏するということもやはり自分の中の音を聴くことなのだろう。 そして、人が奏でた音楽を聴いて感動するということもやはり、耳から入ってきた音と自分の内なる音を重ね合わせているのだろうと思った。
by ongakunikki
| 2008-02-27 03:55
| 音楽メモ
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