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音楽教育の目的

昨日のレッスンの後のお喋りの内容の一部を記録。

先生の生徒の一人にMさんという若い男性がいる。20歳前後で、ピアノを始めたのは3年だか4年前だそうだけれど、私よりずっとうまい。(ま、これは当たり前ね)

そのMさんは音大で勉強したいと言っていて、ご自身でライプツィヒ音大の受験要項など取り寄せたらしいが、受験資格が厳しくて無理だと諦めたそうだ。

「自分から諦めると言ってくれて、正直ホッとしました。彼は頑張っているし、とても上達が早いけれど、音大の入試は3〜4年レッスンをやった程度ではやはり無理ですね。でも、講師としては生徒のやる気をくじくような発言は心苦しくて、なかなか言いづらいです」

そ、そうだよね.........

「ボクの時代から比べても、ますます音大受験者のレベルは上がってるんですよ。ドイツ人だけが受験するならいいですが、今や世界中から受験者が来るでしょう。音楽教育がのんびりしているドイツの子はなかなかチャンスがないですよ。ロシアの子達とか、練習にかけるエネルギーやレッスン法が全然違いますから」

先生がそう仰るまでもなく、地元の受験生が英才教育の盛んな国からの受験者に完全におされていることは当然、知っていた。

最近、ドイツの高校では授業内容を音楽に特化して、音大受験を目指す生徒をその方向に向けて準備するという学校も増えて来ている。うちの近くにもいくつかある。

「ああいうのって、どうなのでしょうか。音楽を仕事にしたいと思う生徒のためのサポートプログラムがあること自体はいいことだと思うけれど、ギムナジウムの音楽科やタレントクラスに入ったとしても、全員が音大に進めるわけじゃないし、うまく行かなかったら他の分野に軌道修正することも難しいのではないですか?」と私は聞いてみた。

「う〜ん。ボクはその辺り、あまり詳しくないんですけど、ただ言えることは、現在の音楽教育の目的は特別な才能を持つスター演奏家の発掘に集中し過ぎているってことです。人よりも早く始め、人よりも技術を身につけ、人よりも認められるようにって、すっかり競争になってしまってます。

真の才能を持つ演奏家を育てることはもちろん大事だけれど、ボクは、音楽大学というのは、本来、普通の音楽家のためにあるべきだと思うんです。いくら才能溢れる演奏家が出現しても、聴き手が育っていなければ何もならないでしょう。音楽教育は一握りのスター候補生のためにあるのではなくて、文化を広めたり深めたりするためにあるべきじゃないかな。

最近はコンサートの客年齢がすごく高くなってますよね。これで後10年、20年したら、もう音楽を聴きに行く人はいなくなりますよ。それに、せっかく発掘したはずの若手演奏家も、数年だけ脚光を浴びてその後消えて行くケースも多いです。音楽って一体、何なのか?ただの競争なのか?ボクは今の音楽教育の流れには疑問を感じます」

なんかいろいろ考えちゃった........
by ongakunikki | 2008-06-03 19:28 | 練習記録
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