マルティン、グールドについて語る

昨日のDussmannでのイベントは、グールドがもし今も生きていたら75歳の誕生日を迎えていただろうことを記念して、今一度音楽家としての彼の人生を振り返ろうという趣旨のものだった。

グールドと言えばバッハ。そこで、「ゴルトベルク変奏曲」で衝撃のデビューを飾り、その後も次々とバッハの演奏を発表しているマルティンをゲストとして迎え、グールドについて、そしてバッハについて語ってもらおうということになったようだ。

座談会は、ところどころにグールドの演奏(CD)を挟み、みんなでそれを聴きながらトークを進めるかたち。一時間に及ぶ話の内容を全部書くことはできないので、私が気になった部分のメモだけ記録することにする。録音してテープ起こししたわけじゃないから、一語一句マルティンのセリフそのままではないので、念のため。(あくまで要旨、です)

まず最初にかかったのは1955年録音のグールドの「ゴルトベルク変奏曲」よりアリア。

司会者「この録音を当時のクラシックの聴衆は大きなショックを持って迎えたといいますが、それはどうしてだと思いますか。まず、テンポがすごく早いですよね?」

マルティン「早い。早いという言葉が妥当かどうか....... 確かに早いですが、急いだ感じはしませんよね。グールドにはユニバーサルな時間感覚とでも呼べるものがありましたから、これは彼にとって自然な早さだったと思いますよ。そして、聴衆がショックを受けたというのも適切な表現かなあ。彼はロマンティシズムに陥ることなしにバッハの曲の持つ詩情を浮かび上がらせた、そしてバッハらしい透明性と詩情を結びつけた。それが聴衆にとってなるほどなと納得のいくものであったから、あのように受け入れられた。そういうことじゃないでしょうか」

次に1981年録音のゴルトベルクが流れる。

司会者「55年盤とはまったく違いますね。こちらはゆっくりと内省的。この違いはどこからくるのでしょう。死を予感していたのでしょうか?」

マルティン「死を予感したからこうなったというわけじゃないと思います。急逝なさりましたからね。あまり深読みする必要はないと思いますよ。バッハのゴルトベルクには無限の可能性がある。そのときそのときの心の状態を素直に表した結果、違ったものになるんです。僕たちピアニストにとって、このような曲がこの世に存在するということは幸せの極みです。人生のいつの時期にも戻って、また新しく弾くことができる。バッハというのはそういう作曲家です」

司会者「グールドはベートーベンも弾いていますよね。ちょっと聴いてみましょう」
マルティン「いいですね。最高です。これ、ライブですよね?」
司会者「そうです。バーンシュタイン指揮」
マルティン「ああ、やっぱり。ライブの方がいいですね。スタジオ録音のようなコントロールされた感じがない。理性的過ぎず、流れに乗っています」

途中、ブラームスやシェーンベルクについても言及あり。(この辺、予備知識がなさすぎてよく把握できなかったので割愛)

司会者「スタジオ録音はコントロールされているとおっしゃいましたが、グールドは31歳から一切のコンサート活動をやめてしまいましたよね。ファンは傷つき、批判的になる人も増えたと思います。そして、あの悪趣味な録音、モーツァルトソナタ15番が発表されました」

チャーンチャンチャン、チャーンチャチャチャーン♪とソナタ流れる。

15番が大好きなぷっちの顔が一瞬輝いたが、すぐに顔をしかめて吐き捨てるように言う。「変。早過ぎる」(←アンタの意見はいいって)

マルティン「う〜ん。悪趣味とは僕は思いませんよ。モーツァルトの時代に立ち返り、根っこのあたりを掘り返す演奏家がもっといてもいいんじゃないでしょうか。モーツァルトというと、既成のイメージや偏見が、それに何の疑問を持つこともなく受け継がれて行っているでしょう。少しでもそこから離れた演奏をするとメッタメタに伐られる。勇気がいりますよね」

(中略)

司会者「シュタットフェルトさん、あなたの新譜はシューベルトですね。グールドはシューベルトを弾かなかったようですが、なぜだと思いますか?」
マルティン「弾いたか弾かないか知らないけど、演奏は残ってないみたいですね。シューベルトっていうのは、弾けと人に強要出来る作曲家じゃないです。弾こうと思って弾くのではなく、導かれる。自分の身を委ね、なるにまかせる、それしかありません。身を任せる、信頼するということができないと難しいですよね。コントロールしようと思ったら弾けません」

司会者「そうそう。あなたとグールドにはもう一つ共通点があるんじゃないですか?グールドはバッハを弾いてるときに、よくうなり声を上げてましたね。あなたも弾きながら歌うとか。ホントですか?」
マルティン「う〜ん。歌いたくないんだけど、つい歌っちゃうんです。どうしてもやめられない.....バッハはぼくにとってエクスタシーなので、無意識にね。ぼくがうたってるの、人に聞こえないといいなあ」

ここでマルティン、イタリア協奏曲を披露。

彼は弾いてるときに手首がほとんど動かないのね。指だけがものすごい早さで動いて、超人だと思った。手の動きだけ見てると硬質なんだけど、音は硬くも冷たくもないのが不思議。

司会者「さて、シューベルトですが、あなたはシューベルトの音楽をWehmut(哀愁)という言葉で表現なさっていますね?」

マルティン「シューベルトというと、悲しみだとか死の恐怖だとか、痛みという暗い面だけが語られますね。でもぼくは、それは一面的な捉え方だと思う。Wehmutという言葉には単なる悲しみだけでなく、喜びも明るさも含めたもの悲しさがあります。ただ悲しいだけじゃない、シューベルトの音楽には生きる喜び、幸せ、弾む心がある。この一見相反する要素が互いに混じり合い、溶け合ったものがシューベルトだと思うんです。幅広い感情のスペクトルがそこにあります」

この辺りはCDの解説にも彼自身の言葉で詳しく書いてあるので、興味がある方は読んでね。

ライブの前に家で彼のシューベルトを聴いたのだが、正直なところ、ソナタ21番には私には難し過ぎた。一回や二回聴いたくらいではとうてい咀嚼できない感じ。明るく軽快なパッセージが出て来たと思ったら、重く沈んだパッセージになるの繰り返しで、うまく全体像を掴めなかった。

でも、ライブで聴くと、訴えて来るものがかなり違う。聴かずにはいられない「語り」だった。先のイタリア協奏曲と比べて音はずっと少ないし、テンポもゆっくりだけど.......

指が忙しくない曲=難しくない曲ではないという当たり前のことをつくづくと感じる演奏だった。音楽はやっぱり表現。


会はこれにて終了。関連本やCDのところは人だかりがしていたので、私達はサインをもらった後はサッサと帰って来たけど。

階段を上りながらぷっちが一言。
「きょうもこどもはわたしだけだったね。こどもはおんがくがすきじゃないんだね」
うーん。

デパートを出ると、ドアのすぐ前の路上にポップスのオムニバスCDが並んでいて、大音量で何か曲がかかっていた。

ぷっち「ああ、もう!せっかくいいきょくきいたばかりなのに、こんなのかけて!まじっちゃうじゃない」
ぷっちは余韻を楽しむ人なのね〜。
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by ongakunikki | 2007-09-26 21:47 | 音楽メモ
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